海を渡った九谷 「大日本九谷」の銘をたどる
NORTAの扇図のシュガーポットとミルクピッチャー。器の底には「大日本九谷」の文字が入っています。この銘は、明治の九谷が海の向こうの食卓へ向けて作られていた時代を伝える手がかりです。
開港地へ運ばれた九谷
明治5年(1872)ころから、石川の陶商たちは「KUTANI」と記した製品を開港地の神戸や横浜へ運び、外国人バイヤーと直接取引するようになりました。小松や寺井の陶商は、神戸・横浜に支店も構えています。上の浮世絵は、ちょうどそのころ、1870年の横浜の海岸通りを描いたものです。
万博と「ジャパンクタニ」
1873年のウィーン万博は、日本政府がはじめて公式に参加した博覧会です。日本の工芸品はヨーロッパで「日本ブーム(ジャポニスム)」を巻き起こしました。九谷も欧米の博覧会で好評を得て、なかでも九谷庄三の作品は「ジャパンクタニ」の名を世界に広めたとされています。
生産の8割が輸出向けに
輸出向けの生産は急速に広がり、能美地域の九谷では明治21年(1888)に全生産の80%を輸出向けが占めました。明治20年代には、九谷焼は日本の輸出陶磁器の第1位になっています。シュガーポットやミルクピッチャー、ティーカップといった洋食器のかたちは、こうした海外の需要とともに広がりました。
「大日本」を冠した銘
この時代の九谷には、国名を冠した「大日本九谷」の銘が見られます。京都国立博物館が所蔵する竹内吟秋の花瓶にも「大日本九谷竹内吟秋製」の銘があります。産地の名に国の名を重ねたこの銘は、海外の買い手に向けて「日本の九谷」であることを示すものだったと考えられます。
扇図のシュガーポットとミルクピッチャー
九谷らしいオレンジがかった赤で扇が描かれ、扇の中の金のドットは指でたどると凹凸を感じます。作られたのは、九谷の輸出が盛んだった明治期と考えています。窯元を示す銘はないため、作り手は特定できていません。
画像:歌川広重(三代)《横浜海岸通之風景》1870年 メトロポリタン美術館所蔵(パブリックドメイン)
参考:小松市「九谷焼」/金沢市 資料/国立国会図書館「博覧会 近代技術の展示場」1873年ウィーン/京都国立博物館 収蔵品データベース
Kutani Across the Sea: Tracing the "Dai Nippon Kutani" Mark
On the base of our fan-pattern sugar pot and milk pitcher are the characters for "Dai Nippon Kutani" (Great Japan Kutani). From around 1872, Ishikawa ceramic merchants carried wares marked KUTANI to the open ports of Kobe and Yokohama and sold directly to foreign buyers. After Japan's first official appearance at a world's fair, Vienna in 1873, Japanese crafts sparked a wave of Japonisme, and the works of Kutani Shoza helped spread the name "Japan Kutani." By 1888, export wares made up 80% of production in the Nomi area, and in the 1890s Kutani became Japan's leading export ceramic. Adding the nation's name to the place of origin, the mark likely told overseas buyers that this was Kutani from Japan.
他の記事:
Quick links
Contact us
Our Shop
〒920-0831
石川県金沢市東山1-23-11
支払い方法:


